【今すぐ色眼鏡を外そう】
「自分の価値観で相手を否定するな」
人というものは、自分の価値観で、人を判断してしまうものだ。
価値観というものは、私たちの環境、人、モノ、経験と
様々な要素によって構成されている。
大学時代にふと価値観について考えさせられたことがある。
ゼミ合宿で教授を囲みながら、朝食を食べていると、
「私、納豆嫌いです・・・」
と容姿端麗な女性が言った。
私は、思わず耳を疑ってしまい、思わず、
「納豆嫌いで生きていけるの?」
と聞いてしまった。
すると、指導教授が一言、
「君は、茨城県出身で納豆を育って食べてきたからだよ」
思わず、ハッとした。
私は、納豆の生産が多い茨城県出身で、
子供の頃から、納豆ばかり食べてきた。
地元と東京のスーパーを比較すると、
納豆の陳列棚の広さを全く違う。
種類も比較にならない。
私は、自分の育っていた環境から、物事を見ているということを痛感させられた。
ナポレオン・ヒルも、「自分自身の印象や利益を物差しにして、あらゆる人やものを評価」してしまうことを弱点だと述べている。
もしも、あなたが
自分以外の人の考えや行動に、不満を持つことがあるというのであれば、
それは、自分の物差しで人を評価しているということに気づかないといけない。
自分の物差しでは、理解できないからと言って、
批判していいという理由にはならないのだ。
私の友人に、ペットを愛し、保護などに積極的に活動している素敵な人がいる。
その友人のSNS投稿を見てみると、
芸能人がペットを飼い、可愛いマグカップに入れて写真を撮って更新したブログに対して、
なんとも卑劣で脅迫めいたコメントを残していた。
そのコメントに対して、事務所側か本人側が削除すると、
また新しく、芸能人自体の誹謗中傷に加え、
「都合の悪いことは、削除するの?ありえない。」と書き込んでいた。
ここまで人は冷酷になれるのかと恐ろしくなった。
私は、友人に
「芸能人さんは、もしかしたら写真映えのために犬を飼ったわけじゃないかもしれないよ。
仮に写真映えのためだったとして、あなたがその人を傷つけていいことにはならないと思うよ」とコメントした。
すると、
私のコメントは消されてしまった。
「都合の悪いことは削除するの?ありえない」はどこに行ったんだろうか・・・。
最近では、動物虐待のニュースも目にする
守りたいという気持ちが強かったのは理解できる。
気持ちはわかるが、友人が犯罪を予感させるコメントをしていたから、
私も思わずコメントした。
その友人には、おそらく嫌われてしまったが、
何か伝われば嬉しい。
私たちに違和感を与えるものは、
全て、あなたの人生の価値観から外れたものだ。
「おかしいな?」と思っていることでも、
常識ということもしばしばある。
それを知った上で、
自分の価値観に縛られる?
それも、自分の価値観を飛び出して、
様々な価値観を知った上で、
自分の世界観を作り出していく?
今回は以上です。