【できる。できる。って自分に言い聞かす】
本を読むと、以下の内容が度々書かれている。
「自信を持つのに根拠なんていらない」
この文章を読んだ時に、違和感を感じた。
「自信って、根拠ありきじゃない?」ってね。
私自信、野球に関しては、そこそこの実績があるので、自信を持って
発言したり行動できている。
というのも、小学6年生から高校3年まで野球に携わってきているから、
何をすれば良いのか、という試合感もあるし、余裕があるわけ。
自信を持つのに、根拠をいらない?
ここを今回は、考えて見た。
たくさんの文献を読んできた私は、改めて、「自信」という目に見えない感情と向き合ったわけなんだが・・・。
そもそも、
「初めから実績がある人なんているのか?」という考えに至った。
いるわけないよね。
皆、その分野で「才能」の有無は当然あるが、「実績なし」から始まる。
じゃあ、自信を持っているかどうかは「根拠いらず」ってこと?
そうだと思う。
しかも、
「根拠がある自信」は、「根拠」に頼りすぎて、壁にぶつかった時に
挫折しやすい。
私は、野球をずっとしてきたから、どうしても野球で例えてしまうんだが、
昨日500回素振りしたから今日打てる。という「素振り500回」に
根拠を持ってしまったり、
試合で打てなかった時に
「あんなに素振りしたのに・・・」
「もっと素振りしないと・・・」
と自己否定につながり、過度な練習に繋がってしまう。
あなたもそんな経験はないだろうか
自信を、持つために、
「何時間勉強しなきゃ」
「何ページテキスト進めなきゃ」
ってね。
焦りが滲み出てて、余裕なんてない状態。
結局、たくさん時間勉強したり、テキストを進めても
形式の勉強になってします。
(勉強でいうなら、志望校に合格するために勉強しているためなのに、点数を伸ばすという「実質」に着眼できず、不安を消しさすための「形式」の勉強をしてしまう)
でも、
もしも、根拠いらなかったら?
自分を信じるところからスタートする。
「私なら大丈夫。」
背筋をピンと伸ばしてね。
たとえ、失敗しても良いって構える。
何事にも、「実績が初めからある人」なんて一人もいない。
だから、「根拠なんて」持つな。
根拠を持っていたら、あっという間に年を重ねてしまうから。
失敗しても良い。
「根拠なんて待ってんじゃねえ」
さっさとチャレンジして「失敗しろ」
失敗経験を重ねろ。
きっと気づく。
最初の1歩を踏み出してよかったなってね。
「自分のことを信じ」て、目の前の1歩を歩き出そう。